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歴史探訪

神奈川県相模原市歴史探訪

相模原市の概要
相模原市は、神奈川県北部に位置し、北東は東京都に接し、南西には相模川が流れ、西に丹沢山系をはるかに望む相模野の広い台地が開けています。首都圏の広域拠点都市として、「輝きと愛があふれる人間都市 さがみはら」を目指し、まちづくりを進めています。

相模原のあゆみ
相模原には、旧石器時代の人々が使用した石器が出土していることから、約3万年前から人々が住んでいたと言われています。縄文時代の土器で磯部の勝坂遺跡で出土した一部は勝坂式と名づけられ、顔面をかたどった把手や豪華な文様で有名です。

平安時代後期には武士団が形成され、渋谷氏や横山党らが市域へ進出してきました。
鎌倉時代に入ると、勢力を持っていた横山党は和田義盛に付いて、北条氏と戦い、滅亡しました。市域には鎌倉時代末に建てられた無量光寺をはじめ、各地に伝統ある寺社があります。
室町時代の後期には磯部に城が築かれ、戦国時代の市域は小田原北条氏の支配下に入り、当麻に関所が置かれました。

江戸時代、相模原は幕府の直轄領や譜代大名、旗本領となります。
江戸時代の中頃には、相模野の開発が始まり、上矢部新田、大沼新田、淵野辺新田、清兵衛新田などが開かれました。江戸時代の後半には人々の重要な収入源として、養蚕・製糸業がより一層盛んに行われるようになります。また、俳諧など豊かな地方文化が育まれることとなりました。

明治以後も、相模野の開発は行われましたが、いずれも規模は小さく、台地上には雑木林なども多く残されました。産業の面では繭や生糸の生産がますます盛んとなり、上溝市場が開設され、取引の中心となりました。鉄道は横浜鉄道、小田原急行鉄道、小田急江ノ島線、相模鉄道と次々に開通します。
昭和12年(1937)以降になると、軍事関連施設が続々と市域に移され、軍都として栄えます。またそれに伴い、県施行の相模原都市建設区画整理事業が始まり、昭和16年(1941)、上溝・座間・相原・大野・大沢・田名・麻溝・新磯が合併し、当時の日本最大規模を誇る町、相模原町が誕生しました。(その後、座間町は分離し独立します)

終戦後、軍の施設の多くは米軍に接収され、相模原は基地の町となりました。朝鮮戦争の勃発に伴い、日本経済も好景気の兆しを見せ、相模原町内の米軍基地やその関連企業に多くの人が職場を求め、町の人口も次第に増え、昭和29年(1954)、相模原市が誕生しました。当時、人口は約8万人でした。
それから地勢の特色を活かして内陸工業都市を目指すと、工場誘致条例を制定して、工場の積極的誘致を図りました。また、首都圏整備法による市街地開発区域第1号の指定を受け、企業や住宅団地の進出が活発になりました。国の高度経済成長や、首都圏に位置していたこともあり、人口は右肩上がりで増加を続け、平成12年(2000)には60万人を超えるに至っています。



相模原の名前の由来
「相模」(さがみ)の由来に関して、
・足柄筥根から見おろす「坂見(さかみ)」の国
・足柄二郡は山でそのほかも平地が少ないことから「嶮上(さかがみ)」
・武蔵の佐斯(さし)の上(かむ)の国で「さかむ」
・古代朝鮮語の「サガ(寒川)」
・「サ神」という神の名称から
といった諸説があります。


相模原の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
相模原市立博物館
住所: 〒229-0021 相模原市高根3-1-15 [地図を見る]
電話番号: 042-750-8030
開館時間: 9:30〜17:00
休館日: 毎週月曜日、年末年始
入館料: 無料
(プラネタリウム・全天周映画はそれぞれ
大人500円、小人200円)







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